ホーミータイツ☆リレーエッセイ

ホーミータイツのメンバーによる、独り善がりなエッセイ。
あなたを強く抱きしめタイツ!
あの中華屋の味付けが知りたい。
最初から何にも持ってないはずで、まして何者でもないのに、いつの間にか手持ちの道具が増えたつもりで、少しは何かの存在になれた気分でいる。バカヤロウ。全てを吐き出した(ような気がする)ライブの翌日は無力感に襲われ、結局振り出しに戻る。「こんなの意味があるのか?」無視してはいけない大事な疑問。それは始まりのきっかけ。それでいい。捨てまくる快感とヤり逃げのスピード感をターンテーブルに乗せてバンドは回る。疑問と一緒に踊る。昼間の仕事の慌ただしさが心地好い。緊張はない。ライブの翌日に休みなんて考えられない。やる事があるってのが有難いからいつものように太陽より早く家を出る。圧倒的なモノに出会った位じゃヘコんだりしない。人生の隙間から僕を見る目。それをボンドで埋め続けて生きる。ヒリヒリする瞬間がいわゆる生きがい。

要するに好きでやってます。

| キクチノブヒロ | 新・さらさら日記 | 21:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
ラーメンライスに乾杯
人波から歓声や爆笑が上がったり、時にブーイングの嵐になったり。さっきまで静まっていた観衆が一つの感情へなだれ込む瞬間が好きだ。特に笑いの感情の爆発力が好きで、さらには『私達はどこまで笑えるのか』を知りたくて日々無意識の実験を繰り返している。最近は可笑しさが激しい衝動となって押し寄せてくる感じで、少し怖い。葬式とかでも大笑いしそうで。


先週日曜日は先輩の結婚パーティーへ。「スベるロマン」を僕に教えてくれた人で、今回も改めてその男らしさに感服した。彼はマイケル・ジャクソンのコスプレで登場し(先輩の元々の容姿とのマッチングがベスト)、後半はスーツに着替えたけど、「さっきのはジョークでした」という落差が全くない。どっちもコスプレみたいで、どっちもバカみたいで可笑しかった。本当のスベリ芸とはこうでなければ。

昨日は好きなラーメン屋さんに久しぶりに寄ったけど、店員がまるまる入れ替わってて、おまけに内輪モメしてた。こんなんじゃせっかくのラーメンも文字通りいただけない。さっさと食って寝た。

新宿を目指す小田急線内、チェロを背負った女の子に恋をする。コカコーラをのみながら。

| キクチノブヒロ | 新・さらさら日記 | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
相子
最近思うのだが、親しい友人や家族との関係において、ときどきイラッとしたりムカッとしたり(同じか)することがあるけれど、それくらいのことはおそらく自分も相手に対してしているのであって、同じくらいイラッとさせたりムカッとさせたり(同じか)してるんだろうな、と。つまりお互い様なのである。そういう風に考えれば、イラッとしたりムカッとしたり(同じか)したときに、自分の気持ちを静めることができる、ということに気づいたんだなー。ヘッヘッヘ。

あれ、これって当たり前のこと?

***

「お互いの無知で傷つけあって、それでもお互いを許しあって、いやし合いながら苛酷な時の流れにたちむかっていくのが愛というもので、無傷なツルンとした愛などは『愛』の名に値しない」
中島らも

「全ての 生きとし生けるものの宿命として 我々は ブレている」
「そこに ロマンがあれば そこに ユーモアがあれば それは 妥協や怠慢ではありません」
志摩遼平(毛皮のマリーズ)
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 17:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
メガネアディクション
メガネがこわれた。フレームが割れた。レンズとレンズの間のところがパキッと。

小雨の降る中、自転車で走っていたら、雨の粒がメガネのレンズに付いて視界が悪いので、信号待ちのときにズボンでこすってきれいにしようとした瞬間、パキッと。数秒間、事態が飲み込めずホケーッとしてしまった。

僕はかなり目が悪い。裸眼で自転車に乗るなんて危険極まりないのだが、仕方ないので引き続き自転車を漕いだ。当然、視界はぼやけまくっている。自動車教習所のシミュレーションマシンの景色のように、ざっくりとしか視界を認識できない。日中の明るい時間でまだよかった。

せっかくアレコレとやることを考えながら意気込んで家に向かっていたのに、帰ってきてからはメガネの対応に追われている。ボンドでくっつけようと試みるがうまくいかず、ビニールテープをぐるぐるに巻いて装着し、パソコンで近所のメガネ屋を調べている。

コンタクトレンズもあることにはあるが、長年メガネを愛用してきたため、鏡などでメガネをしていない自分の顔を見るとどうも何か足りない気がして不安になる。やはりメガネが必要だ。明日はライブだしな(タイツとは別のバンドの)。コンタクトをして伊達メガネをかけるという方法も考えられるが果たして…。

***

円盤に預けてあったCDが完売したらしいです。お買い上げくださったみなさま、ありがとうございます!この場を借りて御礼申し上げます。追加分を納品しましたので、引き続き円盤でお買い求めいただけます。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 17:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏は終わらない
NATSUMEN のライブを観た。

諸事情によりちょびっとしか観られなかったが、それはそれはすばらしかった。

AxSxE はすごい。

四方田犬彦がアルバート・アイラーのサックスについて、

「黄金色のシャワーでも浴びるかのようにアイラーのサックスから流れでる豊かな響きに身を預けてしまいたい」
(油井正一『ジャズ−ベスト・レコード・コレクション−』)

と書き記しているが、全く同じことを AxSxE のギターに対して思った。

聴くっていうより浴びるって感じ。そんな感じだった。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 02:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
心意気
僕が初めて自分のお小遣いで買ったCDは、ウルフルズの『そら』じゃなかったかと思う。

当時、中学生なりに熱心にウルフルズを追いかけていた(ライブは行ったことないけど)が、その後しばらく離れてしまって聴いていなかった。汗臭い実直な音楽よりも、シュッとした洗練された音楽へと興味がシフトしたことによる(思春期にありがちな寄り道)が、ベーシストのジョン・B・チョッパーが脱退してしまったこともその一因だった。

当時ベースを始めたばかりの僕は、バンドのベーシストというものに格別の思い入れがあった。バンド内でのベーシストの立ち位置みたいなものにもこだわりがあって、ジョン・B・チョッパーや、黒夢の人時のような、一歩引いてる感じ、というかなんというか、「ちょっと地味」な感じのベーシストが好きだった。ジョン・Bは自ら「ベースは地味」ってよくインタビューとかで言ってたし。

ベーシスト不在の、というよりジョン・B不在のウルフルズにはやっぱりあんまり興味が持てなかった。

ところが四年後、ジョン・Bがウルフルズに戻ってきたのである。ファンなら誰もが狂喜したことと思う。当時ファンだなんて到底言えないほどウルフルズから遠ざかっていたが、ジョン・B復帰のニュースは妙に嬉しかったのを覚えている。

復帰後のジョン・Bはなんだか吹っ切れていて、言うことがいちいちかっこいい。並々ならぬ決意を持って戻ってきたのだろう。

「土壇場までくると、しょうもないものでも何でも、何か出てくるものだ。『何』もないなんてことはない。『何』かある。もうそれしか仕様がないのだ。そして、それで良いのだと思う。ちょっとした無理は良いが、気取ってみても、嘘をついても仕方がない。不細工でも出来が悪くてもかっこ悪くても、そのときの『正直な気持ち』ほど強いものはない。ちゃんとした言葉にならなくても、声にならなくても、叫びになっても、吐き出せば、良い方向に必ず行く」

「みんなギリギリのところで、がんばっている」


(黒田としひろ『風に吹かれている場合じゃない』)

「良いとか悪いとかじゃなくて、かっこ良すぎるものって、個人的に何故か遠ざかっていく。関西人の性だろうか」

「男にも女にも、泣きたい夜がある」

「ロックンロールは気合い一発であり、そのために毎日を一生懸命生きていると言っても過言ではない」

「曲にはムードがある。なければ楽器を演奏する意味がない」


(ウルフルズ『バンザイ 〜10th Anniversary Edition〜』メンバーによる全曲解説)

「歌はもちろん、ギターもベースもドラムも、そのひとの人生そのものなので、そのひとの音がする。誰をも真似できないし、誰にも真似できない。かっこ良いこともかっこ悪いことも、全て」

「音にすると、嘘をつくことができない」

「単に耳障りの良いものや、根っこのないオドカシなんてものは屁以下なものになって忘れられていく」


(ウルフルズ『バンザイ 〜10th Anniversary Edition〜』「バンザイ」から10年)

「ウルフルズっていうのは、松本くんのシャウト一発。それ以上でも以下でもない」

「ただ、いい音を出したいわけですよ。すごい上手なフレーズとかそんなんやなくてね、いい音を出したい」


(トータス松本『歌いたいんや!』)

くあ〜っ!ライブに行く前に活動休止だなんてっ!
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 11:53 | comments(2) | trackbacks(0) |
自転車にのって
九月だ。夏が終わる。風が冷たい。ぼんやりした頭がハッとさせられる。

最近、自転車で移動することが多い。電車賃が浮くので、ケチな性分の僕には合っている気がする。さらに慢性的な運動不足の解消にも一役買っている。ような気がする。

そんな自転車に乗って新宿までライブを観に行く。西荻の自宅から新宿まで三十分強。

工藤冬里、灰野敬二、早川義夫+水橋春夫。名前を聞いただけでお腹いっぱいになりそうな顔ぶれだ。

水橋春夫のギターは四十数年前と全く変わっていなかった(もちろん生まれてないので実際に聴いたわけではないけれど)。ずっと変わらなかったのか、あるいは何周かして戻ってきたのか。早川さんの歌が四十数年前と同じだとは思わないけれど、そんな水橋さんのギターと合わさっても違和感がないのだから、実は変わっていないということなのかもしれない。僕は高校、大学、社会人と、ずいぶん自分が変わってきたような気がしているけれど、もしかしたらそうでもないのかもしれない。

すっかりからっぽになった頭で、再び自転車を漕いで家路につく。からっぽになった、という気がするだけで、本当は頭の中に多量の何かが流れ込んで、許容量を超えてしまったために、からっぽになったように感じるだけかもしれない。そんなことを考えながら、ぼんやり自転車を漕いだ。

お腹が空いていたけど、ラーメン屋に寄るのは我慢した。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
毎日走り出し続けるには
感情的で暴言吐きまくりのノラネコみたいな顔をしたおじさんが「伝わる為」の文章を書いた。

仕事で必要なスキルと言われればそれまでだけど、それにしても溢れる思いやりに暖まる私。自分が利口だと思っている人によくある「分からない奴がバカなのさ」が微塵もない。リズムがいい。すっと入って来る。カッコつけてない。故にカッコいい。山下達郎のようだ。

普段はあんなに沢山バカバカ言っているのに不思議だ。気持ちが熱いばかりに言葉が火山のようにはからずもピュッピュッしてしまうのか・・・。

極端な人には学ぶ事が多い。自分の中で正反対のベクトルを懸命に綱引きしている人の事だ。極端な固執ではなく極端なこだわりのある人は、そこに至るまでとことん自分を疑い続けた人だから、それがこちらに伝わった時点で正当だしすくなくとも既に一理ある。要するに好きになってしまう。私としては。

そしてある日、迷わずそのこだわりを捨てる。そこがまた素敵。

そしてそして、目指すものは何一つ変わっていないのだ。

最近、そんな人達によく会うので私もまたその感動を素直に書いてみんとしてす。

| キクチノブヒロ | 新・さらさら日記 | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
「お母さん、いい加減オムライスを天津飯だと言い張るのはやめて下さい。」
朝バイトの給料を握りしめて一番安くて不味そうな(でも量は多い)定食屋を探す。荻窪で。久しぶりのソロライブに向け久しぶりに歌うソロ曲を練習しにスタジオに入るその前に、ありえない位満腹になる為に中華屋に入る。店頭にはイチオシ商品の画像が全面ディスプレイされており最早「何を食っても同じ」と一目で分かる。屈んで店内の状況を観察すると客はいない。中から屈んで僕をうかがう女店員。仕方なく入る。

満腹セット・天津飯+ミニラーメンを注文。ミニじゃ満腹にはならんと思い麻婆豆腐も頼む。女店員はニコリともしない。厨房に向けて発する中国語?だけは威勢が良い。

最初に来た天津飯は間違いなくオムライスだった。ケチャップを表面に薄く伸ばした四川風オムライスだった。「オムライス 漢字で書いたら 天津飯」という俳句が浮かびニヤッとする。二分で食う。ミニラーメンはガソリンの匂いがしたけど二分で食う。麻婆豆腐は美味しかった。

発見したんだけど満腹だと腹から声が出ないね。むかし歌い始めた頃の声が出てない感じに似ていて面白い。初心に還る。色々研究して素敵な間合いを手に入れる。モノは言い様だか歌詞もまた歌い様だ。行けそうだら。

帰って来て一人ビールで打ち上げ。旨い。ビールはエジプトが起源らしいですね。

なんか普通の日記ですんません。
| キクチノブヒロ | 新・さらさら日記 | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
不便だ
引っ越しの準備をしている。

僕は極度の“もったいながり”で、なんでも捨てずにとっておいてしまう癖がある。

だので、引っ越しともなると、溜め込んだ諸々をひっくり返して、荷造りするなり処分するなりの作業に膨大な時間を割くことになるのだが、これがなかなか楽しい。

一時期、家でカップラーメンを食べるときに、そのままカップで作らずに器に移してお湯を注いで食べていたことがあった。あのプラスチックの容器に熱湯なんか注いだら、化学物質かなんかが溶け出してきてスープに混ざるんじゃないか、なんて思って、外で食べるわけじゃなし器に移そう、と思ったのである。そうするとカップラーメンの「カップ」がきれいなまま残る。「これは小物入れかなんかに使える…」ってんでとっておいた空の「カップ」が押入れから大量に出てきた。これは全て廃棄。

ちなみに、器に移すと洗い物が増えて面倒なので、結局カップで食べるスタイルに戻った。化学物質云々を気にするならカップラーメン食べなきゃいいのにね。好きなんです、カップ麺。

僕はスーパーやコンビニで買い物をするとき、ほとんどレジ袋はもらわない(エコバッグに入れるとかじゃなく、手で抱えて持ち帰る)のだが、というのも、一人暮らし開始当初、レジ袋もらっときゃなにかと使えるべ(湘南弁)とホイホイもらっていたら、あっという間に大量にたまってしまって、こんなにいらんやろ!(関西弁)となった次第である。そのたまりにたまったビニール袋群が、カップと同じく押入れから大量に出てきた。うーん、これは持っていこう。そしてどんどん使おう。

僕はケチなので、欲しいものは極力安く手に入れようとする傾向があるのだが、そんなときに便利なのはインターネット大先生。先生に聞けば、自分で歩き回るという手間なく、どこで買うのが一番安いか教えてくれる。また、アマゾンさんやヤフオクちゃんに頼めば、中古品を安く手に入れることができる。ってなわけで、ネットで買い物することも多いのであるが、買った品物が届く際には、破損しないように丁寧に梱包してある。いわゆる「プチプチ」で包んであるのだ。これも包んであっただけで再利用できるので、捨ててしまうのはもったいない。自分が出品した際にも使えるし(出品したことないけど)。かくして、買えば買うほど「プチプチ」がたまっていくという状態に。これも押入れから大量に出てきた。引っ越しなんてかっこうの「プチプチ」活躍の場である。じゃんじゃん使おう。

他にも、新聞の切抜きやら、会社の新人研修時の資料やら、謎のCD-R(これすごく多い)やら、とにかく色々出てくる。それらを眺めつつ、「この三年でずいぶん考え方が変わったなぁ」と、しばし感慨に耽る。特に新聞や雑誌の切り抜きは、今だったら目にとめないような記事ばかりだ(っていうかもう新聞とってないし)。なんだか若き日の自分を見つけたようで微笑ましい。たかだか三年ほど前だが。

「考え方が変わった」というより、頭で考えずに感じるままに従うようになった。「思考」から「感覚」へシフトした。「左脳」から「右脳」へ。といっても、今でも相当リクツっぽいのだが、いつでも“正論”が正しいわけではない、という感覚が身に付いたというのだろうか。「まぁいいか」と思えることが増えた。

三年住んだこの家にはシャワーがない。風呂はある。しかし沸かすのが面倒で、よく友人宅にシャワーを借りに行った。昔はどの家も追い焚き式のお風呂だったはずなのにこんなに面倒に感じるとはなぁ。慣れたっちゃあ慣れたが、やっぱり不便である。

不便だ不便だ不便だ不便だ
でも便利より不便の方がだいぶいい

(たま「まちあわせ」)

と自分に言い聞かせて過ごした三年間。

でもやっぱりシャワーがないのは不便で、これについては「まぁいいか」と思えない自分がいるのである。

というわけで、シャワーのある家に引っ越します。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0) |

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