ホーミータイツ☆リレーエッセイ

ホーミータイツのメンバーによる、独り善がりなエッセイ。
あなたを強く抱きしめタイツ!
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マヨネーズ
自分の音楽が誰かの役に立つかもしれないと考えることは、傲慢なことではないだろうか。そんな風に考えられた音楽は果たして、聴くに値するか。

受け手は自由だ。発し手も自由だ。どう受け止めようと、どういう意図で発しようと、自由だ。好みでないものは相手にしなければよいだけの話である。

でき得る限りまっさらに、無条件に、音を発する。楽器と自己との区別をなくす。その境界を消しゴムでこすって曖昧にする。消せずとも曖昧に。自分が楽器になるために、鍛錬は必要か。鍛錬は必要か。必要なのは鍛錬か。

音だけではない。歌もある。言葉もある。ただし、無目的である。音楽だから。音楽に乗せるんじゃない。音楽を乗せるのだ。

そんな思考とは無関係に、もっともっと懐深いものだとは思うけど。音楽は。というか世界は。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 04:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
無題(いつかの走り書きメモ)
誤解はされてなんぼ。誤解されるには、誤解されるに値する私、でい続けなければならない。

幸せになるのはまだ早い、ということなのであった。幸せそうな人を見ると腹が立つ、というのは、疑いのない人、確信に満ちた人への僻みである。

各々が幸せになればいいのであって、みんなで幸せになろうというのが間違っている。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 02:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
僕はバカになった
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最近、心が動く事がめっきり減った。特に腹が立たなくなった。別に何とも思わない。

若かったあの頃、数年前までの僕は何であんなにもテンションが高かったのか。高かった気がするんだけど。覚えてないです。

というか、テンションを上げること自体、若かりし頃よりも数倍素早く出来るようになった。年々、「理由」がいらなくなっている。高まる事情を必要としなくなっている。恐らくボケ始めている。子供達に負けたくないというのはある。でもいきなり「ピャ〜!」とか叫んだ日には子供達も何で?という顔になりますね。そんな時彼等は大人の顔をしています。

大人の顔は「何で?」という顔に他なりません。

想像だけでオナニー出来たあの頃には戻りたくないけど、トキメキの沸点はヒマラヤ山頂くらいに下がっている。すぐ息切れはするが、いつでも噴火出来るイメージ。ヒマラヤは噴火しますか?どうでもいいか。

ん〜違うかも。わかんない。稚内。

枠の中で必死にやる事も必要だけども、一旦枠の外に出られるという感覚に気付けば苦しくなくなるかもしれない。
踏まえた上で枠を逆に囲ってしまうか、やはりそこから離れてみるか。まあ、楽しい方へ。

友達のスズキ君は、上等でない宗教にハマった同級生の

「このままじゃ世界が滅びてしまうんだよ!!」

という類の執拗な勧誘に対し、

「あぁ〜•••別にいいんじゃネ?」

という心からの返答をする事で同級生の戦意を喪失させました。

ここ最近は「戦意を喪失させる」というのがテーマかもしれません。

注目を集めようとする人は声を張る事で周囲を巻き込もうとするけど、それとは別の方法で聴衆を釘付けに出来れば、それこそメガネのズレを直しただけで大爆笑になる、事が以前あったような。より強い武器でねじ伏せるよりも、気付かない内に無防備にさせて笑いの奈落に自ら転げ落ちて貰う。

そんな事を夜桜の下で考えました。
| キクチノブヒロ | 新・さらさら日記 | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホーミータイツです
気合いとユーモアと思いやり、これが三元素。

でも気合いが入らないときもあるよねって認めてあげるのが思いやりなんじゃないかとか、そもそも思いやるってどういうことなのかとか、ユーモアって何語かとか、色々考えてるうちにごちゃごちゃしてきちゃったのがホーミータイツです。

ごちゃごちゃしたものを、ごちゃごちゃしたまんま、ボトッと置き去りにする。象が鼻を使って食事しながら脱糞する感じに近いかもしれない。ボトッと。ホカホカと立ち上る湯気。香り立つ芳香。あるいは、むせ返る臭気。誰に頼まれたわけでもないことを、何食わぬ顔で。期待されていないことをサービス精神たっぷりに押し付けるような。心底ガッカリさせつつ、心を満たしていくような。「アイツら何しに来たの?」と言われながら、「音楽に決まってんだろ!」と吐き捨てて帰るような。

根拠はわかりにくくていいのです。でも音楽がわかりにくくなったらお終いなのです。でも音楽は"わかる"ものでもないので、わかりにくい音楽というのもないのです。要は何でもいいのです。でも何でもいいってわけでもないのです。ほら、ごちゃごちゃしてきたでしょう。

気合いとユーモアと思いやり、って言ってたのはキクチさんですけど。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 07:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
金曜日
言いたいことを言うのでもなく言わないのでもなく、どちらかというと言うんだけど、説明したいわけではなくて、かといって理解してほしくないわけでもないけど、伝えたいわけでもない。

伝えたいことはない、とどうしてもっと早く断言できなかったのだろうか。何かを伝えなければいけない気がしていたのか。何かを言うこと、言われることの煩わしさ。何も言わないことの気持ち悪さ、気持ち良さ。

歌ってなんなんでしょう。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 05:14 | comments(2) | trackbacks(0) |
他人様
友達や、知り合いでない人のことを他人という。互いに相手のことは知らない。もしくは一方的には知っているが、知り合いではない。

僕はこの“他人”のことを敵だと思ってしまうクセがある。敵といっても、こちらから敵視するわけではなく、こちらが敵視されていると錯覚してしまうのである。つまり、いろんな人を知れば知るほど敵が増えていくのだ。これはしんどい。生きづらい。一人で勝手に生きづらくなっている。

知り合いでない人とは仲良くなれない、と決めつけて、そう思い込んでいる。知り合った人でさえ仲良くなれない人もいるのだから、知り合えない人、知り合わない人は尚更だ。そういう人は、きっと自分のことを疎ましく思うに違いない。

音楽活動に関して言えば、こちらが一方的に知っているミュージシャンなんてたくさんいて、毎日そこかしこで演奏している。つまりそこらじゅうで敵が演奏しているのだ。ね、大変でしょう。

敵と居合わせた場合、どう対峙するか。僕は好戦的な人間ではないので、無難にやり過ごすか、もしくは、避ける、逃げる、隠れる。やっぱり居どころなんてないんである。

自分がライブをするときだって、演奏だけステージにちょこんと置いてきて、あとは一目散に逃げる。音楽が煙玉。音楽が傀儡。演奏することで全てを煙に巻いてやる。音楽で全ての他人を欺くのだ。ざまあみろ!
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 05:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
オーバー
もうダメだなぁ、と思う。本当にダメだなぁ、と思う。とにかくダメなんである。

そうこうしているうちに28歳になりそうである。今月なるんである。あと2年間は20代でいられることが救いではある。あるんである。

考えれば考えるほど、腐っていく。ナマモノは暖かいのが苦手だ。暖めているうちに腐っていく。

他人(ひと)と違うことに憧れていたので、俺は他人とは違う!と声高に言うことははばかられる。ナルシシズムとして受け取られかねないと思ってしまうからだ。それでも、どうにも、他人と同じようにできないということが、いよいよ致命的な欠陥として自分に迫ってきているように感じるのである。当初憧れていた、代えがたい魅力、でなく、致命的な欠陥。

俺は昔から変わっていない。でも、俺以外の人々も、きっと昔から変わっていない。最初から違っていたんだろう。別に変化はしていない。下降も上昇もしていない。問題は、それでも正気でいられるかだ。

他人と違っていたのなら、他人と違っているところを伸ばして欲しかった。同じようにしようとしたって、ぎこちなくなるだけじゃないか。今さら突き抜けることも、ぶっちぎることもできない。かといって平凡にもなれないんじゃ、もうダメじゃないか。もうダメ、なんである。

| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 07:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
2012NEVER DIE
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職場にカツラの方がいらっしゃいます。

繰り返しになりますが、よろしいでしょうか?

彼は最近よく、ある特定の例えを使います。それは、

「〜したらどうですか?まるで猫ひろしのように。」

というモノです。ジョークのまとめとして使ってらっしゃいます。何かを少し行き過ぎな位キッチリするというビジネスジョークのまとめです。いいんじゃないでしょうか。

以前、友人の牧さんに誘われて阿佐ヶ谷ロフトに飲みに行った時、猫ひろしさんは出番が終わって丁度帰る所で、色んな方にあいさつをしていました。僕にも「ありがとうございました。」と言いました。いい人でした。牧さんもご馳走してくれて、ありがとうございました。

同級生の千葉君から久しぶりに電話がありました。彼は高校からの親友です。久しぶりにライブをするそうで、つい嬉しくなり、必ず行くと約束しました。彼は仙台に住んでいて、ライブは3月末の金曜日。間に合うか分かりませんが、必ず行こうと思います。「乱入して、メチャクチャにしていいぞ。」と言ってくれました。彼は昔からちっとも変わっていません。ガンマ線のように真っ直ぐです。

千葉君のお陰で、僕の人生は変わりました。素敵な悪い方向に。とても感謝しています。

大学ノートに飛び散る、詩にもなれない、最初から死んで生まれた言葉達。『家族を殺したい』と冒頭にはありました。その悲しい強烈さに僕は惹かれ、そして友達になりました。今でも忘れられません。


いい歳して、直線的なバンドをやってる同級生は僕と千葉君と菊池君だけになりました。菊池君は僕じゃないもう一人のキクチ君で、今はブルペインキャッチャーというバンドをやっています。高三の時、僕達はシャロームというバンドを組みました。ヘブライ語で平和という意味です。当時赴任していたアメリカ人教師の方に教えて貰いました。何となくカッコいいかなと思って。ランシドとクーラシェイカーのコピーとオリジナルを一曲やりました。楽しかったぁ。僕はベースでした。レイジアゲインストザマシーンを死ぬほど簡単にして展開も二つしかないオリジナル曲は今聴いても本当にカッコいい。

話がとっ散らかったけど、一番最初に組んだバンドは一番カッコいい。

| キクチノブヒロ | 新・さらさら日記 | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
腐ってく(絶望のエスキス)
どこもかしこも包囲されていて、自分の居場所なんかハナから用意されていない。みんな自分の陣地を守るのに必死だ。誰もが闘っている、のかもしれない。

僕はそういう感じが嫌で、逃れるように東京に来たんだった。でもこれは東京での話だ。東京もある意味同じだったんだ。だとすれば、もう他に行き場なんかない。どこにもいられない。そう、どこにもいられないのだ。

絶望というのは暮らしの端々で訪れる。暮れても暮れても絶望と対峙しなければならない。どちらが先にくたばるかだ。しつこくやり返さなければ勝てない。

自分を認めてくれる人などどこにいるのか、というのは間違っている。それは努力、もしくは時間が足りていないのだ。惜しんでいるうちは努力とは言えないし、時間はかかるのだ。ただひたすらに。これも、どちらが先にくたばるかだ。しつこくやり返さなければ勝てない。

勝たなくてもいい、と思ってしまったら、負ける。どんどん負ける。日々負けていく。これが本当につらい。だから、別に勝ちたいと思わなくても勝ちを目指さずにおれないのだ。これはこれでつらい。やっぱりつらい。結局つらい。

何のために生きているのか。何のために、誰と何をやりあっているのか。そんなことわかんないし、どうだっていい。くたばるまではガラガラ音を立てて回転しているしかない。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 03:08 | comments(2) | trackbacks(0) |
腐ってく(少しずつ)


「言ってくれなきゃわからない」「言える雰囲気じゃない」「言わなくてもわかってほしい」この三つ巴が、僕らの日常を攪拌している?

考え方やその内容でなく、コミュニケーションの部分ですれ違ってしまうのは、かなしい。それが生理というものだろうか。

わかりあえない人と、わかりあいたいと思う。つい思ってしまう。でもやっぱりわかりあえないから、落ち込んでしまう。こんなことを繰り返していたら、いつか落ち込んだまま這い上がって来られなくなりそうだ。

わかりあえない人とわかりあう必要はない。わかりあえる人と、わかりあえる範疇で付き合っていけばいい。どこかに無理があっては続かない。けど、続けなくたっていい。続くことと続かないことには優劣はないはずだ。

でも、やっぱりわかりあいたいし、続いていく方がいいよな〜。

某SNSで古い知人を発見して、プロフィールを覗いてみる。みんな同じ事を続けている。昔も今も同じものを好きでいるし、同じ仕事、同じ活動を続けている。みんな立派だ。一貫している。筋が通っている。生活スタイルから趣味趣向まで、同じだけの時間が流れているはずのなにどうしてこんなにも道を隔ててしまったのかと絶望してしまう。わかりあえる気がしない。

やっぱり続いていることは立派なことだと思う。続けている、も、続いている、も、大差ない。

僕は好みがコロコロ変わるし、何かツラいことに直面するとすぐにやめてしまう。塾や習い事なんてその最たるものでどれも続かなかったし、小学校は楽しかったから通い続けたけど、中学校はツラかったから通うのをやめたし、高校と大学は楽しかったから通い続けたけど、会社はツラかったからやめてしまった。

心の底から震えるような生き甲斐なんてなくていいから、なんとなく楽しくそれなりにほどほどに暮らしていけないものだろうか。

ツラいからやめる、即ち、デコボコ道を嫌い平坦な道を選んで歩いているはずなのに、一向に楽にならない。これはどういうことなのか。つまり、ツラいからやめるってのは何の解決にもならないってことなのか。そもそも生きるってこと自体がツラいことなのか。まぁ、楽しいこともあるけどさ。
| ごとうはるか | 新・さらさら日記 | 03:50 | comments(3) | trackbacks(0) |

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